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2016年8月3日(水)
海のなかを覗くには:回収率と回収されなかった標本
成蹊大学文学部 小林 盾
社会調査オピニオン
海のなかを覗くには:回収率と回収されなかった標本
成蹊大学文学部 小林 盾
2016年8月3日UP

量的調査(サーベイ)を実施すると、回収率が100%でないかぎり、計画標本のうち回収できた部分とできない部分がでてくる。この2つの標本は、地球上における陸地と海洋に似ているかもしれない。陸は地表の約29.2%あり、残りは海である。そして、私たちは陸上についてなら「どのようになっているのか」をおおよそ知っているが、海洋についてそれが当てはまる保証はない。

私たちが社会調査をするのは、標本をデータとして得て、母集団(知りたい全体)について推測するためである。このとき、私たちが直接知ることができるのは、計画標本のうち回収できた部分に限られる。その割合(比率)が回収率である。そして、私たちはともすれば、「回収された標本とされなかった標本に、違いがないだろう」と想定しがちである。

では、標本から母集団を推測するために、どのような条件が必要だろうか。標本がランダム・サンプリングされ、さらに(理論的には)回収率が100%となっていることが求められる。しかし、100%の回収率は、(大規模な調査となるほど)現実には難しくなる。

それでも、私たちは回収できた標本をデータとして、母集団について「内閣支持率は~パーセントだ」とか「男性より女性のほうが平均が高い」などとあれこれ推測する。これは、「回収された標本」と「回収されなかった標本」のあいだに、分布やメカニズムで違いがないと想定されているからである。では、この前提は正しいのだろうか。

残念ながら、回収できなかった部分については、(回収できなかったゆえに)十分な情報がないため、正確な比較をすることができない。それでも、ここであえて考えてみたい。  私は2005年SSM調査(社会階層と社会移動全国調査)や2015年SSP調査(階層と社会意識全国調査)で、調査員として訪問面接をおこなった。どちらもランダム・サンプリングに基づき、回収人数と回収率は2005年SSM調査で5,743人、44.1%、2015年SSP調査で3,575人、43.0%だった。また、授業の調査実習を2005年から毎年担当し、ランダム・サンプリングに基づく郵送調査を実施してきた。回収は60~70%となっている。

これらの経験から、私は「回答する人としない人は、ずいぶんタイプが異なるのではないか」とつよく感じている。訪問面接や郵送調査でも、調査に回答してくれるのは、私の印象では「良い人」に偏っているように思う。多忙な中、数十分間(ときには1時間)も、根掘り葉掘り質問される。おのずと、時間や生活に余裕のある、そのため教育、職業、収入、家族関係などで恵まれている人たちが中心となる。断る人は、おおむね逆のタイプの人たちである。  ただし、こうした属性のバイアスは、回収された標本の属性を母集団や計画標本と比較することで、ズレを把握できる。やっかいなのは、「どれくらい幸せと感じているのか」とか「内閣を支持するのかどうか」といった心理、意識に関するものである。これらの情報は、母集団や計画標本について不明である(だからこそ調査を行う)。

そもそも、回答者にとって直接自分に得になるわけではないのに、決して多くない(500円から2000円程度の)謝礼を対価として回答するわけである。「悪い人」のはずがない(「謝礼があると、謝礼目当ての人に回答が偏る」という意見があるが、謝礼が少なかったりゼロなのに回答するのは、いわば非合理的な人たちの集まりともいえる)。

私の経験では、疑い深い人、面倒くさがりな人、そもそも研究や調査というものに敵意をもつ人(残念ながら一定数存在する)が、回答を断りやすいようである。ある面接調査では、「こういうのに協力すると非国民になっちゃうから」といわれて断られた。

それでは、私たちは回収できなかった標本を、どのように扱うべきなのだろうか。私はスクーバ・ダイビングを趣味としている。海の中は、1メートル潜っただけで別世界となる。陸上で主役の人間が、海中では脇役どころか魚たちに相手にもされず素通りされていく。つまり、陸上と海中では、メカニズムがまったく異なるのである。

もしかしたら同様に、たとえば回収率が50%だったなら、残りの50%の人たちはまったく別の世界観をもち、想定外の人間関係を作り、異なるメカニズムで動いているのかもしれない。そうだとしたら、「回収できなかった標本では、分布もメカニズムも異なるかもしれない」と想定した上で、「回収できた部分についてはここまで分かるが、できなかった部分については残念ながら分からない」という謙虚な姿勢こそが、求められているのかもしれない。