STAP細胞に関する論文の問題は、私たち文系の研究者にとっても、それをきっかけに剽窃や研究倫理について考えさせられたという点で、影響は小さくはなかった。5月から6月にかけて複数の新聞で、10以上の大学で文章盗用検出システムが導入され、教員自身の論文や指導した大学院生の博士論文に剽窃や不適切な引用がないかをチェックする制度が実施されることが報じられている。もちろんソフトでのチェックではなく、倫理教育が最大の防止策ではあるが、それだけでなく社会調査に関してもデータのねつ造を防ぎ、分析の信頼性を向上するシステムの構築をあらためて考える必要があるのではないだろうか。
計量的な社会調査データを用いた研究においては、現在は公開されたデータの二次分析が主流である。したがって、公開されたデータを自分に都合よく改ざんして分析したとしても、他の研究者によって同じデータを分析することが可能であり、不正をあきらかにすることができる。つまりきちんとしたデータを作った上で(その確認のためには調査票自体も保存する必要があるのかもしれないが)データを公開すれば、どの研究者でもそのデータを入手し、分析でき、それが分析結果の改ざんを阻んでいるといえる。
社会調査データは、データアーカイブに寄託すべきであることはこれまでもしばしば指摘されてきたが、データのチェックにさまざまな労力、費用がかかるため、大規模な共同調査データを除いてはなかなか一般化していないといえるだろう。しかし分析結果の正しさを保証するためにはデータの寄託は不可欠であり、そのようなシステムの構築が望まれる。
また、今回の問題で実験ノートも話題になった。社会調査において、理系ほど厳密なノートによる記載は行っていないと思うが(必ずボールペンで書くとか、後から追加削除できないようにするとか、機関がノートを保管するなど)、データ分析の過程を記録しておくことは社会調査においても必須である。この点で量的調査においては、統計のソフトウェアによる分析が行われているので、それを用いて実行したプログラムとその結果を保存しておけば、ある程度は目的が達せられると思われる。
それに対して、質的調査の場合は、データの保存、分析過程の保存のどちらも大変である。まず、データアーカイブというものが、質的データではほぼ存在していないし、調査倫理としてむしろ調査データは、短い保存期間の後に破棄する。例えばインタビューの生の音声の録音は、テープ起こしをし、調査対象者を匿名化したのちに、その録音データ自体を破棄すべきであるとされている。情報が漏洩しないための対策であるが、不正という観点からみれば、元データと照合できない、トランスクリプトや分析結果を改ざんしてもわからないということにもなる。データアーカイブに保存し、二次データ分析として活用するという点からもデータの長期保存が検討すべき問題となるだろう。
また、質的データはソフトウェアを用いて分析することによって、細かなコーディングやメモなどが残る。このようなQDAソフトによる分析は、分析の効率の上からももちろんのこと、分析過程を保存するということで、研究倫理上からも不可欠と考えるべきだと思われる。しかし現実には大学・大学院などの教育機関において、そのようなQDAソフトの導入は進んでいない。したがって、学生の教育においてソフトウェアを使った質的データ分析の訓練はもちろんのこと、分析過程の保存もなされておらず、かといって分析の信頼性を高める他の方法が取られているわけでもない。
少なくとも社会学における社会調査では、現在、量的な調査データによる分析よりもいわゆる質的な調査データによる論文の方が、圧倒的に数が多い。おそらく多くの教育機関で、SPSSやSASなどの量的データの分析ソフトウェアはかなりの数が導入されていると思われる。量的データ分析よりもはるかに数が多い質的データ分析の、分析ソフトはどれくらい導入されているのであろうか。QDAソフトの普及の必要性も重要な改善可能な問題として、残っているといえるだろう。