近年、社会調査があらゆる分野に応用、活用されるようになったことは、喜ばしいことである。企業の市場調査(マーケテイングリサーチ)から、新聞・テレビなど、マスメディアの世論調査 、そして国や地方自治体の国民(住民)意識調査、さらにはさまざまな団体が行うまさにさまざまな調査が、日々、散見される。調査が大いに活用され普及することは、結構なことであるが、一方、その質、レベルに関しては、玉石混交で、かなり怪しげな調査が横行していることも事実だ。サンプリングの方法も、サンプル数も、明記されていない調査、“主婦100人に聞きました”などという、“似て非なる”調査の横行を、放置していてはいけない。誤ったデータは人々に誤解を与え、世に害毒を流すことも少なくないからである。こういう意見の人が何パーセント、と公表されると、人はその結果がどれほどきちんとした、正しい手順で行われた結果であるかもわからず、信じてしまう危険性が大だからである。
調査の普及に伴い、調査の“送り手”側の質の改善や、“受け手”ともいうべき、読者や利用者の、調査結果の信憑性を判断し、活用できる能力の向上が、必要となってくる。調査マンの再教育を考えるとともに、あまりひどい調査に対しては、勧告・指導(イエローカード?)を出すシステムも、検討しなければならないだろう。また、調査結果を正しく判断し、活用する、受け手の側の「調査リテラシー」教育も、考えて行く必要があろう。
もっとも緊急を要するのは、社会調査の正しい活用である。最近、世論調査や住民調査が、過大に活用され、利用されている、と感じることが多い。世論調査の内閣支持率の低下によって、総理が交代させられたり、国や地方自治体の政策優先度や社会施設の整備を、世論調査で決定する、などのニュースがマスコミを賑わせている。
しかし、調査というものは、あくまでも世論の海図であり、海図を見てどんなコースを進むべきかを決定するのは、政治家であり、経営者であり、その道のプロでなければならない。最近の政治状況などを見ていると、あまりに世論に振り回されている状況には危惧を覚える。空き地を、公園にしますか、高速道路にしますか、と住民に問えば、すべて公園になってしまう。消費者の満足度最大が、最善のマーケテイングではなく、時には消費者の意向に逆らって決断することが、地球にやさしく、必要なこともある。正しい世論の活用の仕方を、政治家に、経営者に、もう一度しっかり認識してもらうことは喫緊の課題だ。