2013年の暮れも押し迫った12月26日、安倍晋三首相が突如靖国神社を参拝した。折しも中国、韓国との関係が緊迫状態にある中で、さらには偶然とはいえ毛沢東元国家主席の生誕120年という記念日に当たっていたことから、靖国参拝は当然のことながらさまざまな対外的軋轢を引き起こすこととなった。それ自体、時事的に大きな論点であることは間違いのないところである。しかし、もちろんここは宰相の靖国参拝を論じ、意見を述べる場ではない。今日はその出来事に対する世論・意識調査とその結果について所感を書き留めてみたいと思う。
参拝の直後から、放送局や通信社、新聞社といったマスメディアが、さまざまな形で緊急の世論調査を行った。例えば民放TBS系の情報番組では、インターネットを用いた調査を28日の段階で実施したし、Yahoo!でもその件に関するサイト上のネット調査を行っている。また、共同通信社は28、29の両日に全国緊急電話世論調査を行った。しかも、それらの結果は、早くも年内には順次インターネット等を通じて公表されたのである。こうしたことからまずわかるのは、現代の社会情勢、国際情勢を前提とすると、以前のように訪問調査や紙調査を実施して、その集計と分析結果を一定の期間の後に発表するといった方法をとることは、もはやマスメディアにとってほとんど有効性を持たなくなっているということである。そこには、国民はインパクトのある理解が容易で単純なデータをできるだけ早く知りたがっているのであって、詳細な分析結果とその解説などを望んでいるわけではない、というマスメディア側の判断があると思われる。
そこで、気になる結果である。まず、共同通信社の結果は、参拝に対して「よかった」とする回答が43.2%、「よくなかった」が47.1%というものだった(有効回答数不明)。肯定的な意見は半数を切っている。それに対して、TBS系の情報番組のインターネット調査の結果は、参拝に対して「いいんだ」との肯定的回答が71.2%、「まずいんだ」という批判的回答が28.8%(有効回答数40,717)、Yahoo!のサイト上での意識調査では、「妥当」が78.1%、「妥当でない」が21.9%(有効回答数343,190)と、ともに肯定的な意見が7~8割という高い値を示している。共同通信社の電話調査に対して、放送局とYahoo! の調査では、はっきりと値が異なっていることがわかる。もちろん、ここでどちらが正しいとか現実に近いとか議論するつもりはない。そうではなくて、調査の教科書に必ず出てくるような「代表性のある標本」や「適切なランダムサンプリング」といった概念、いわゆる「サンプルの正しさ」というものが、現実の必要性の前にほとんど意味をなさなくなってきているのではないかという、一種の諦めにも似た疑念を持ったということを言いたいのである。
サイト上に調査票を置くようなネット調査の場合は、とりわけ古典的な意味でのランダムサンプリングは不可能である。必ずといってよいほど大きなバイアスがかかってくる。上記の結果が好例である。しかし、最近のネット調査は、だからといって調査をあきらめる、あるいはバイアスのかかった結果を調整する、といった方向へは進まない。そのまま、結果を即時公表してしまう。その姿勢はまるで「母集団と母数を代表するような理想的なサンプルや統計値など存在しないのだ」という諦念に到達しているかのようである。忖度するに、そもそもそうした調査は、母集団の持つ社会意識や世論の的確かつ客観的な把握などではなく、同傾向の意見を持った集団の意識の確認や強化を目的として行われているのだろう。そうだとすれば、そうした調査は、従来の社会調査よりも、学校で学期ごとに行われる中高生の中間試験や期末テストに性格が近いということもできる。日頃からちゃんとそのサイトを見ているか、そこで展開される議論をきちんとフォローできているか、そのサイトへの参加集団の標準的な考え方から大きく乖離してはいないか・・・・等々が調査の実施と結果の公表によって確認できるのである。テレビニュースでプロデューサーやディレクターの番組構成アイデアにぴったり合った形で切り貼りして用いられる新橋駅前あたりの勤め人へのインタビュー映像ともさして変わるところはない。そのような調査を批判し、瑕疵を指摘することは容易であるが、そんなことをしてもあまり意味があるとは思えない。現代社会には、ますます高度化し、多様化するメディアに適合した調査というものがあり、それらはわれわれがしばしばストイックに守ろうとしている社会調査とは全く別のジャンルに属するものだと了解するほかないのかもしれない。