社会調査実習紹介
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ジビエから見た地方社会

及川 高(熊本大学文学部准教授)

ジビエという言葉を目にする機会はずいぶん増えた。シカやイノシシ、クマなどの野生動物の肉を利用した食文化のことである。最近では獣肉を提供するレストランは、都会でも珍しいものではなくなっているようだ。しかし普及の反面で、そもそもそれらがどのようにレストランまで来るのか、知っている人は少ないのではないか。

「イノシシの方がうまいが、ジビエに出すにはシカの方がやりやすい」

そんな話を調査実習の際に聞いた。場所は熊本県南部の山間、三ヶ浦地区でのことである。

ここでは廃校舎の建物を転用した施設「田舎の体験交流館さんがうら」を拠点に、様々な地域おこし活動を行っていた。伝統的な棚田を利用したオーナー制度や農業体験プログラムの提供、地域イベントの企画運営など、その多岐にわたる活動は2020年度には農林水産大臣賞に輝いている。そうした活動の母体となっている地域社会に関心を持ち、私たちの研究室は2022年夏、ここで社会調査を行っていた。

ジビエの開発もさんがうらの試みの一つである。そのことが話にのぼったのは、調査中のバーベキューの際だった(写真)。地元の方もお招きしたところ、差し入れに地元のイノシシ肉をいただいた。その肉を焼いているうち、話題がジビエのことになり、先ほどの言葉はその中で出てきたものである。

さんがうらでのバーベキュー

実習中のバーベキューの様子。さんがうらの施設を利用し、地域の方と学生が交流する機会となった。

固くて臭みがあるものの、イノシシは基本的にはブタ肉に似て、脂がのってうまい。これに対してシカ肉は脂質が少なくて赤身が多く、味の上でもあっさりしている。これはこれでおいしいものの、単純な食味ではイノシシに軍配が上がる。つまりイノシシの方がニーズがあるわけだが、問題は肉の品質管理にある。イノシシは雑食のため、その個体が食べてきたもので肉質にばらつきが生じる。これに対してシカは草食だから、肉質のばらつきは比較的小さくなる。ジビエとして市場に送り出すのであれば、シカ肉の方が安定した品質で提供しやすい、というわけである。

考えてみれば当たり前のことながら、ただ獣を捕らえて解体すればジビエになるわけではない。恥ずかしながら私も学生もそれまで、ジビエの品質管理の問題を考えたことがなかった。産地で食べるイノシシの焼肉は格別であったが、これを商品化し地場産業に育てるとなると、それは簡単なことではないのだという。

ジビエが増えている理由の一つは、日本中で野生の獣が増えていることにある。過疎で山野に手が入らなくなったことで、イノシシなどが数を増やしているのである。このため三ヶ浦に限らず、各地の山村が害獣対策に頭を悩ませ、罠での駆除を試みている。駆除の絶対数が増えたため、ジビエとして流通する分も増えたというわけだ。

今はまだ地方社会にも余力があって、駆除の副産物である獣肉を商品化し、市場に送り出すことができている。しかしこれが持続可能であるかは、長期的には分からない。過疎によって、ジビエの加工や管理のできる人手は減り続けているからである。

社会調査の多くは特定の社会集団の範囲で行われる。質的調査ではなおのこと、扱うコミュニティは小さなものになるだろう。ただしそこで得る知見はその社会に留まらず、日本全体の産業構造のような大きな問題につながってくる。あなたもどこかのレストランでジビエを口にすることがあるかもしれない。その一切れの肉の向こうにある人の営みへの視野を切り開くこと、それが社会調査の目指すものの一つである。

  • 2025年7月2日UP