岩手県の小旅行から帰ったばかりなので、とりあえず、釜石での経験から始めよう。
1 禅寺の風景 20年ほど前になるが、何度目かの釜石行きの折り、たまたま通りがかった曹洞宗石応禅寺で、ぞろぞろ出て来た30人ばかりの中高年の男女、多分、葬儀に参列した後であろうが、女性たちは一様に、カトリックの信者たちとまったく同じような、純白のレースのヴェールを被っているではないか。私は目を見張った。あれは一体何であったのか。ときどきこの光景が思い出されて、いつの日か尋ねてみたいと願っていた。何年か前それを森崎和江さんに話したら、「東北にはときどきそういう思いがけないことがあるのよ、不思議ね」と、興味深そうであった。この機会にそれを尋ねたいと思い、受付にいく。若い僧は、にこりともせず私をにらんで、それでもあらましつぎのように答えた。
――当寺は壇家も多く、墓も約4000。増えたのは主に製鉄所の成長による。今は実勢約半分程度である(それにしても大きな数である。釜鉄の盛衰が墓の盛衰でもあったとは。いわれてみれば納得である)。白いヴェールのことは、自分たちは知らないが、それが事実とすれば、葬儀の参列者のなかにカトリックの信者がいて、彼ら自身の儀礼として着用したものであろう。当寺の儀礼のなかには、そのような慣行はない。
なるほど、と納得。長いこと奥歯に挟まっていた小骨が、やっととれた。
2 文化としての資本 わずか4時間の滞在だったが、釜石の町は明るく活気があり、シャッター通りの気配はほとんどなかった。製鉄所が中心になって、鉄とは直接関係のないさまざまな事業(その最先端はキャビアの生産であろう)を工夫して、地域開発の中核であり続けている。もう1つだけ例をあげると、ニッテツ・ファイン・プロダクツ株式会社では、大豆たん白食品・脱酸素剤・製鐵粉じん利用の使い捨てカイロの製造販売をしている。大豆製のソーセージ(タンパッキー)が1つの目玉商品で、このネーミングのせいで国内では売れ行き不振だが、アジアの非肉食圏では健闘している由である。資本もまた文化なのであり、人が動かしているのだということを、釜鉄の事例は実によく物語っている。
3 疑似無相関 折角の機会なので、釜石と直接関係はないが、「疑似無相関」という事態について書き留めておきたい。教科書的には「疑似相関」だけが解説されているのだが、無相関も疑似でありうるということである。私が発見した事例は、最も簡潔には「Kパターン再訪、ヴォランティア社会の可能性」として『社会保障研究』(28巻4号、1994)に書いた。
ヴォランティア行為の階層性を調べているうちに、両者の相関係数はほぼゼロに近く、無相関だと分かったのだが、再吟味しているうちに、その相関は2相性であることが分かってきた。つまりヴォランティア行為へのコミットメントは、階層の高さと正相関する事態と、逆相関する(つまり階層の低さと相関する)事態とがあり、それが一緒に現れるために「無相関」となる。2つの相が合併して現れるために、係数的には無相関となる。実に面白い発見であった。これを追試して下さった方々には、深く感謝している。ついでながら、自他ともに九州一と認める私立の某受験校の生徒に、障害児者や高齢者などへの支援ヴォランティア活動のフィルムを見せて、本人の参加意欲を尋ねたら、10人中9人までが痛烈なる拒絶反応であったという(院生談)。ここにKパターン成立のメカニズムが鮮やかに認められる。
R.K.マートン晩年のエッセーから拝借して「3つの断片」としたが、これについては『現代社会学群像』(徳永恂・鈴木広編、恒星社厚生閣、1987)を参照。