「手集計カード」と言っても、何のことか分からない人も多いだろう。SPSSなどの統計パッケージを使えば、数行のコマンドによって単純集計はおろか多変量解析まで実行してくれるのだから、それに慣れた世代にとっては、言葉を聞くのさえ初めてかもしれない。コンピュータの高級言語FORTRANを使って集計や多変量解析のプログラムを自作していた私自身にとっても、見たことはあるものの、実際に使ったことはない。しかし、今、「それは案外、無視するには勿体ないのではないか」と思っている。
「手集計カード」とは、調査の回答を、調査単位(個人、組織など)ごとに1枚のカードに記したものである。カード上には○、◇、□、☆などさまざまな枠を配置し、回答はその中に記す。そうすることによって、左上の○は問1、その隣の◇は問2など、どの問の回答かが直感的に分かるようになる〔たとえば、福武直『社会調査 補訂版』(岩波書店,1984年)の228頁に実例が掲載されている〕。このカードを用いて、単純集計やクロス集計を行うのだという。数百あるいは数千の調査単位の回答を手作業で振り分けるのである。プログラムパッケージに慣れている人間にとっては、非効率的で迂遠な作業に思えるだろう。
しかし、この原始的な作業にも利点がある。『社会調査 補訂版』によれば、手集計の利点は「集計を行いながら(特に分析者自身が集計をするばあいには)、調査データのおおよその全体的な姿を把握できる」(224頁)ことである。
しかも、それに加えて、もう一つの利点がある。
安田三郎先生の指導で偏見についての調査をしていた頃に聞いた話だ。先生は、『社会移動の研究』(東京大学出版会、1971年)の基礎となるデータ分析を、手集計カードを用いて行った。1枚1枚カードを見ながら、同じ回答カテゴリー(の組み合わせ)のカードを積み上げていく。その過程で、カードの山は、均等に高くなるのではない。初めに急速に高さを増した山が、最終的にはそれほど高くない、というようなことが稀ではない。そのため、この方法で集計する時、分析者は、その時々で変貌するカードの山を見ながら、それを生み出すメカニズムを自然と考えるようになる。したがって、図らずも、いろいろな仮説を自から考えるようになるのだ。
実査から基本集計までを調査会社に委託し、統計パッケージを活用することによって、われわれの研究は確かに効率的になった。しかし、その反面、効率の代償として失ったものは無いだろうか。調査票調査に先立つ文献調査、関係者との交渉や相談などの経験、普段は接することのない境遇の人々を訪れる経験、回答者に何度も拒否された挙句に夕食を御馳走になりお土産まで持たせられた経験、エディティングやコウディングをしながら回答者の生活史に思いをめぐらす経験、FORTRANレベルの言語で書いた固有値計算のルーチンを基に多変量解析のプログラムを書く経験、そのような経験から得られるものは、言語化が困難であるとはいえ、研究を豊かにしてくれるように思われる。