学力に対する世間の高い関心を背景に、さまざまな教育調査が実施されている。学力テストもそうだが、調査の多くは学校の教室で生徒が質問紙に向き合う形で実施されている。筆者も、地域の教育研究所を通して、そうした現場の先生たちが行う調査に何度か関わった経験がある。そこで感じたことと最近の学校の動きについて述べてみたい。
学校を舞台とした調査には、一般の調査にはないいくつかの興味深い特徴がある。1つは、教師の権威のもとに集合調査として実施されるので、ほぼ100%の回収が得られることである。もう1つは、回答の様子から子どもの成長に見合うさまざまな変化が窺えることである。とくに、学年が上がるにつれて「そう思わない」「しない」の否定的な回答が増えてくる。学校側が期待する事柄に対して距離を置いたり否定したりする傾向が、小学生よりも中学生、中学生よりも高校生で強くなっていく。また、「不明・無回答」もだんだん目立つようになる。つまり、学校に対する適応と調査に対する抵抗が重なってくるのである。(ネットに公開されている最近の教育調査の結果をみると、「不明・無回答」の割合が意外に少ないが、そのことは逆に調査に対する抵抗が回答全体に紛れていることを示唆しているかもしれない。なぜなら、通常の調査であれば調査拒否となる決して珍しくないケースが100%回収の集合調査ではそのまま表には現れてこないからだ)。
さて、こうした教育調査の延長上に一般の世論調査があると考えてみよう。そこでは回収率の低下が大きな問題となっているが、それは上に述べた学校での経験と無関係ではないだろう。実際、対象者からすれば「お願い」で始まり「ご協力ありがとうございました」で終わるアンケートに嫌々つき合う義務はない。この現実に対して、筆者は、子どもの時から受け身ではなくより主体的な調査体験をしていれば、大人になってからの対応も少しは違ってくるのではないかと考えている。つまり、中学生や高校生が自らの意識や生活環境を自分たちの手で社会調査の方法を用いて調べるのである。
以前からこのようなことを考えていたのだが、現在の学校は結構それに近い所にあるかもしれない。というのも、新学習指導要領により、中学校には「資料の活用」が、高校には「データの分析」(数学Ⅰ)が平成24年度から必修分野として導入されたからだ。それによって中学生でも「標本調査」の意味を理解し、「度数分布や代表値」が扱えるようになっている。また、高校生であれば誰もが自分で「箱ひげ図」を作成したり、「相関係数」を計算したりできなければならない。(この学習内容の変化は、たとえば今年の入試センター試験の数学の問題で確認することができる)。
いまのところ、統計的知識の基礎が教えられているに過ぎないが、その知識が教科の垣根を越えて(というか受験用の知識に留まらず)自分たちの境遇を知るための手段として活用されるようになれば、社会調査に対する人々の態度もこれまでとは違ったものになる可能性がある。この分野の知識を教える中学や高校の先生にいわゆる調査リテラシーがあれば、そうしたことも十分に期待できるだろう。もちろん、その一方で、これまで大学で行われてきた社会調査の講義の一部が中学や高校の授業とさして変わらないものになってしまうことに留意しなければならないのだが。