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2011年6月17日(金)
臨床社会学と社会調査
関西学院大学   大村 英昭
くつろぎ
臨床社会学と社会調査
関西学院大学   大村 英昭
2011年6月17日UP

平成17年度から3年間にわたって、私が代表者を努めた科研費調査「現代人の価値意識と宗教意識の国際比較研究―脱欧入亜の視点から―」が今、最終報告書を印刷所にまわして終了しようとしている。代表者といっても量的(アンケート)調査のほうは、もっぱら副代表者の真鍋一史教授にお任せして、私はごく限られた範囲の質的(フィールド)調査を実施したに過ぎない。それでも、こういう国際的なフィールド調査に本格的に関わったのは(なんと60歳を過ぎての)初体験。これまで“アームチェアー・ソシオロジスト”を決め込んできた者としては「へぇー、これも結構、面白いねェ・・・」の感慨にふけっている。とくに50歳を過ぎた頃から「臨床社会学」、という以上に「臨床宗教学」の必要性をうったえてきた者としては、なるほどグローバルに現場(フィールド)体験を重ねることが、――しばしば「見ると聞くとは大違い」の実感をともなって――いかに大切なことであるかを思い知った。

あらかじめ用意していた――というより、宗教学界の近年の理論動向から導き出された――仮説群が、量的(アンケート)調査の側からも一定程度、実証されていったことは望外の喜びであった。まずは、同じ宗教性といっても、特定(宗派)宗教によって培われるreligiosityと、他方、そういう特定宗教には、むしろ反感すらもっているらしい「宗教的無党派層」が、それ故に、かえって熱心に希求しているspiritualityとの区分が明瞭にできたこと。かつ、その意味でのspiritualityで見れば、世界中、少なくとも「世俗都市」の住人の間では、感性レベルの宗教心において、ほとんど差異を見出しがたいまでに、よく似たものになりつつあるのではないか。もっと言えば、仏教であれ、キリスト教であれ、旧い教条(ドグマ)は、いずれの文化圏においても次第に人心を失い、人類学者岩田慶治がいち早く高唱した“ネオ・アニミズム”こそ、特定宗教から脱却した現代人のspiritualityの内実を形成しつつあると見て間違いあるまい。

このspiritualityの相似的広がりを検証すべく、フィールド調査班が眼をつけたのは二点、一つは火葬後の遺骨灰がどう扱われるか、二つは、大切にしていたペットと死別した際に人々がどんな宗教行動をとるか、であった。まず一つ目の方。いち早く火葬化が進んだ我が国と違って、東アジアだけでなく、ユダヤ=キリスト教圏でも火葬はむしろ忌避されてきたはず。それが、大都市圏の拡大にともなって、ここ20、30年ほどの間に、どの国でも急速に火葬化が進んでいる。韓国のように政府による、ほとんど強制に近い措置が実行されているところは別にしても、葬儀式の合理化ないし簡素化のすう勢は必然的に火葬率の上昇をもたらしてきた。しかも面白いことに、火葬後の遺骨灰の扱い方から見て、例えば“散骨葬”の増加に見られるように、どの文化圏でも類似の宗教行動を誘発するようになるのだ。従来、墓参習俗はほとんどないかのように聞いてきたプロテスタント国ですら、近年は、遺灰を収めた記念碑を目当てに花や灯火をもって定期的に訪れるひとが増える傾向にある。我々は、ここにも、religiosityではない、類似のspiritualityが先進国に共有されつつある証拠だと考えた。

もう一つ、ほとんど家族の一員ともなっていた伴侶動物との死別に際して、先進国の都市住民は、ほとんど同様の悲しみを味わい、それ故に、類似の宗教行動をとることも判ってきた。すなわち日本のペット霊園に見られる祈りの光景は、実は欧米先進国の多くにおいて見られる光景でもあって、我々はここにも、同質のspiritualityが反映されているものと見做したのである。 以上、spiritualityの更新状況を反映するらしい二点は、量的調査のアンケート項目中にも加えられたのであったが、ISSPのような大規模な国際比較調査においては、なお今後の課題項目の域に留まっている。だから、得られたデータは極めて限定的なものだが、それでも上記した質的調査班の推論と検証は、かなりの程度、妥当性をもつと判断できる。
『社会と調査』1号より転載