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2014年12月1日(月)
災害記憶の風化と変化
放送大学特任教授
原 純輔
くつろぎ
災害記憶の風化と変化
放送大学特任教授   原 純輔
2014年12月1日UP

未曾有の大災害である東日本大震災でさえ、記憶の風化が問題になっている。

災害の記憶がどのように風化したり、変化したりして行くのか。こんなことを考えるときに浮かんでくる、調査の苦い思い出がある。1985年(昭和60年)に実施された「原子爆弾被爆者実態調査」である。調査委員の一人である福武直先生の依頼で、私は調査票作りや集計・分析を手伝った。

この調査は、「被爆者の生活、健康等の現状を把握するための資料を得る」ことを目的に、厚生省(当時)が実施したものである。調査票はB5版15頁、全24問は職業・収入、あるいは被爆地などの基礎的事項、健康状況などで占められている。例外は、「被爆者であることから、現在苦労していたり、心配していることはどのようなことですか」という多項選択質問と、①「原爆で亡くなった家族の思い出や、亡くなったときの状況など」および②「被爆者の立場からの意見」をたずねる末尾の自由記載欄のみである。

この調査で特筆すべきは、前二回(1965年、1975年)が標本調査であったのに対して、被爆者健康手帳(被爆者手帳)所持者への全数調査(366,957人)であり、郵送調査にもかかわらず、回答率が86.7%(313,499人)と驚くべき高さだったことである。これは、当時、「被爆者援護法」の制定を求めていた原水爆被害者団体協議会(被団協)が、厚生省への圧力をかけるために全数調査を強く主張したからであり、回収率の高さの裏には、「調査に回答するように」という被団協からの慫慂があったと推測できる(法律は1994年に成立)。

被団協の思惑を考えると、逆に厚生省としては、これはやりたくなかった調査なのだ。だから、扱いは冷淡である。報告書はA4版で約100頁のものにすぎず、型どおりの単純集計やクロス集計が並び、文章はそれを淡々と記述するだけである。自由記載欄に関しては、②の要望や意見の単純集計―どのような事柄をどれだけの人が述べているか―が存在するのみである。被爆者研究史では完全に無視されている。

あまりの冷淡な扱いに憤りを覚えたが、その後の私の行動もほめられたものではない。せめてもと、自由記載欄に記入のあった神奈川県在住者の調査票(当時、横浜国立大学に勤務していた)1633票を厚生省から借り出した。その後、一度も返還を請求されることもなく、今も手元にあるという事実からも、この調査の位置づけがわかる。

調査に多少なりともかかわった私個人としては、回答者の協力に応えられなかったという思いが強い。調査票の中で、最も力を入れて回答してくれていると感じられるのは、自由記載欄①亡くなった家族の思い出である。約48,000人が実際に回答している(②要望や意見には約73,000人が回答)。回答欄は半頁(8行)が割り当てられているが、びっしりと細かい字で埋められているのが特徴である。収まりきらずに、次の②の回答欄に侵入しているものも多い。内容は、家族の亡くなったときの状況だけでなく、自分や周囲の状況にも多くが触れている。貴重な肉声である。

その頃研究に取り組んでいた文章データの処理・分析法を生かして、他の質問項目と組合せながら被爆40年後の記憶の特徴を自分なりに理解してみたい。それ以前に発表された手記や発言などと比較することによって、記憶の特徴の変化をとらえてみたい。同県内在住者で住所氏名もわかっているから、気になる回答者からは直接話を聞いてみたい。こんなことを考えて、手をつけかけては投げ出してしまうということを繰り返した。すでに30年が過ぎようとしている。

調査票の劣化は急速で、行方も心配だ。こうなったら画像ファイルにして保存するしかないか。しかし、それで・・・・。道を失い夕暮れにたたずんでいる心境である。