山﨑輝史(社会調査士)
2016年3月、東京大学教育学部 卒業
朝日新聞社名古屋報道センター勤務
※所属は『社会と調査』掲載時のものです。
新聞記者になって、まもなく6年が経ちます。神戸市、前橋市、名古屋市に赴任し、主に事件・事故を担当しました。新聞社の社会調査というと、政党支持率などを測る「世論調査」をイメージしますが、残念ながら私は関わったことはありません。
社会調査は大きく「量的調査」と「質的調査」とに分かれますが、新聞記者の仕事は圧倒的に「質的」です。政治家や企業の社長、高校球児、伝統工芸の職人、近所の有名人……。仕事の大半はそうした人へのインタビューで成り立っています。記者が「ルポルタージュ」と呼ぶ行為は、いわば「参与観察」でしょうか。私の場合は警察官や検察官、弁護士のほか、事件の被害者や加害者、その周囲にいる人へのインタビューが仕事の中心です。
多くの人は、一生のうちで事件・事故に巻き込まれることはないでしょう。メディアが取り上げる殺人事件や重大な交通事故はなおさらです。かといって、「犯罪なんて、特殊な人間だけが巻き込まれるもの」だとは片付けられません。
以前、高齢男性が運転する車が暴走し、高校生を死傷させた事故を取材したことがあります。その高齢男性の家族は私から事故の一報を聞くと、被害者への謝罪とともに、涙を流しながら次のような話を教えてくれました。
加害者となった高齢男性は数え切れないほどの物損事故を繰り返していました。「エンジンキーを取り上げよう」と家族が決めていたその日の朝、男性は家族の目を盗んで車を発進させ、事故を起こしたのです。運転免許の更新も直前にありましたが、家族の期待に反してなぜか認知機能検査を通過していました──。
ある地方都市の一家族の話に過ぎませんが、このエピソードは示唆に富みます。「運転に執着する高齢者に悩む家族」「車がないと生活できない地方」は、日本中にありふれています。「運転免許制度の不備」も見えてきます。行政が公表する「高齢者の交通事故数」「運転免許返納数」からは読み取れない、平凡で痛々しいほどの現実です。
報道される事件・事故自体は、個別的な現象に過ぎません。だから私は「その事件に『社会』を代表する側面がないか」と考えて取材しています。そうでなければ、事件報道はいたずらに容疑者をさらしあげたり、プライバシーを開示したりするものに成り下がってしまいます。
大学時代に学んだ社会調査の知識や実践が、こうした発想に結びついています。量的調査が表現する数字は精密です。統計的処理の結果は、数学的な裏付けがあるがゆえに「ケチ」がつけにくい。ただし、複雑な社会を完全に表現できるわけではない。数字を読み解く上で、文献調査やインタビューなどの質的調査も踏まえて読解するのが正しい態度のはずです。
社会調査の教科書の1ページ目に書いてある「量的調査」と「質的調査」の分類とそれぞれの利点/欠点についての考え方が、私にとっては大切な知識です。
ほかに、政治家や行政機関の言説で「疑似相関なのでは」「『増えた』と言うけれど、本当に有意差があるのか」と思うものに出会うこともあり、社会調査の知識は「転ばぬ先の杖」にもなっています。
(※『社会と調査』28号(2022年3月)より転載)