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ミスリーディングな統計

大阪商業大学 谷岡一郎

2019年6月24日

日本人は統計データさえ無ければ、それに関する事象が存在しないと考えるきらいがある。たとえば、右肩上がりに増え続けている児童虐待の統計値やグラフを見ると、多くの人はまず「こんなに増えて大変だ」としか考えない。しかしそれが表面上のミスリーディングでしかないことは、調査に興味ある皆さんには、すでに自明のこと思う。

児童虐待に限らず、家庭内暴力(DV)でもギャンブル依存症でも、相談窓口やホットラインが普及すると統計値は増える。それまで、犯罪や病理学的問題だと気づかなかった人やその周囲の人々も、ニュース項目となり耳目を集めるにつれ気づき始める。たとえば児童虐待を考えるなら、子どもに対し不当な扱いをする親は、(あったとして)社会構造やシステムの変化という要因だけでは、これほど急に上昇するものではない。急な変化には常に注意すべきであるが、私見では通報が増えたから統計値が増えたのである。私は犯罪学を専門とする研究者であるが、数が増えれば増えるほど、より多くの子どもが不当な扱いから助かったのだと考える。今まで苦しみ、泣き寝入りしていた子どもたちのうちのいくばくかが助かった結果として、右肩上がりのグラフがニュースに出るのである。増えている(ように見える)から問題だ、と考えるより、何で今まで問題を放っておいたのだろう、もっと増えるには何をすべきか、と考える方が我々の採るべき正しい方向性だと思う。

データはありません

「データが無い」ことのもうひとつの理由として、データを持つ人々が「公開しない傾向にあったからだ」という点も挙げられる。守秘義務などを理由として、データの公開を拒む者もおれば、「オレの獲得した研究費で行なった調査だ。なんでアンタに見せにゃならん」などと愚にもつかない理由で断る者もいる。特に後者は、その研究費の多くが国の予算による点を完全に忘れている(ふりをする)わけで、それらデータは本来は国民の財産と考えるべきなのである。従って個人が囲い込むことは良くないことと(私は)結論づける。

ずさんなデータの集め方、クリーニング、保存、解釈・分析がなされている可能性も高い。昭和以前に学んだ者は、方法論やディジタル関連の知識が充分でない人も多く、正しいやり方で処理されていない可能性も挙げられよう。つまり、恥ずかしい質のデータを見せたくないという防御本能なのである。

いみじくも盛山先生が、2019年2月15日付のコラム(厚労省の統計不正問題)で書いておられるように、データの公開・オープンは、そのプロセスも開示することが必要である。いつどこでどのように集め、どうクリーニングやコーディングをし、そして分析手法は…と、プロセスに関しても公開すべき情報は少なくない。国の研究費を使ったすべてのデータは、公開を前提とし、そのプロセスに至るまでを一定期間保存することを研究費交付の条件とすべきだろう。

ちなみに今回問題を起こした厚労省。私もデータ(ギャンブル依存症536万人)を請求したことがあるが、なんと「ウチにはデータはありません」との返事。それではと報告書の代表に請求したところなしのつぶて。私だけでなく、アメリカの「責任あるゲーミング協会(RG)」のアラン・フェルドマン教授も同様の目にあっている(国の恥だ)。国会の議論の元になったデータすら研究者に開示できないようなら、そもそもエビデンスとは呼ぶべきでないよねえ。