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社会調査における「脱文脈」化を考える

法政大学/多喜弘文

2023年3月8日

社会調査の講義を担当するようになって10年近くになる。自分が社会調査士制度のもとで学んだ時期から数えると、約20年の月日が経過している。科目の性質上、現実におこなわれている実務的および学術的調査のあり方に応じて、内容をアップデートしていく必要がある。量的調査に限っても、紙の調査からウェブ調査への移行は無視することはできない。他にも、たとえば電話調査は他計式と教えていたが、自動音声でおこなわれるそれは自計式なんじゃないかと話しながら考えてしまうようなこともある。計量的な調査を取りまくフレームワークの変化に追いつこうとすると、そのスピードに驚かざるを得ない。まさに日進月歩である。

近年は、他領域との接点を意識することも多い。行動観察によって得られるビッグデータやAIを用いた整理・分析の技術、あるいは因果推論的アプローチやサーベイ実験を取り入れた社会学の研究も増えている。計量分析における考え方や手法における学問間の垣根は低い。他分野から大いに学ぶべきである。だが、こうした領域が、インタビューやアンケートなどによってデータを得る伝統的な方法にこだわらず、むしろそうでない方法によるデータ取得を勧めるとすれば、そこから何を学び、何にこだわりを残すべきだろうか。

伝統的な社会調査は、その場の文脈に左右されやすい。調査の対象となることで、人間が普段と異なる行動を示すことは、社会学の授業でよくホーソン実験を事例に説明されてきた。また、調査票の質問への反応が、回答者の文化的・社会的背景によって様々な次元で変わってしまうことは誰もが知るところである。社会科学にとって、こうした文脈の影響が独特の難しさをもたらすのならば、バイアスを除去しつつデータを取得することは望ましいことである。こうした考えにもとづき、分析対象となるケースの置かれた文脈の影響を取り除こうとする動きは、政治科学の一部では脱文脈革命とよばれる。近年の因果推論や実験的調査、あるいは社会学における二次分析の重視や全国データの重宝も、文脈の透明化を目指すという意味でこの脱文脈革命の流れに沿うものといえるかもしれない。

だが、ここで個人的に悩むことがある。頭の中の図式の妥当性を検証することにおいて、計量的なデータ分析には一日の長がある。だが、社会調査データを用いて国際比較などをしていると、自分の頭の中の図式がそもそも間違っているのではないかと不安で仕方ない。起きている現象の社会間での違いについては、適切に行動を観察すれば記述できるかもしれない。しかし、そこに生きる人びとが行動に付与する意味づけ、社会的文脈を考慮することなしに、その社会を説明することなどできるのだろうか。

風呂敷を広げすぎたかもしれない。知りたいことを明らかにするために、適切な方法で仮説を演繹的に検証していくことは重要である。こうした点において、行動観察データの取得、あるいは実験的調査や因果推論的アプローチに学ぶところは非常に大きい。しかし、そこでおこなうべきはノイズの除去であり、必ずしも文脈の除去ではない。文脈の異なる「他者」に出会い、そこから学びながら帰納的に仮説を修正/構築することで、知識を漸進的に蓄積していくこともまた、社会学が調査を通じておこなってきたことではないか。こうしたことを、その昔マートンの名前とともに学んだような記憶がうっすらとある。

社会調査の講義は、人びとの調査に対する認識を構築していく営みでもある。講義する側も、「他者」から学ぶことの重要性を忘れないようにありたい。