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2017年7月31日(月)
「小さな社会学(教育)」と「小さな社会調査(教育)」
龍谷大学 工藤 保則
社会調査オピニオン
「小さな社会学(教育)」と「小さな社会調査(教育)」
龍谷大学 工藤 保則
2017年7月31日UP

「小さな社会学(教育)」、「小さな社会調査(教育)」、ということを考えている。

「小さな社会学(教育)」について考え始めたのは、日本社会学会の社会学教育委員会の委員として、日本学術会議の社会学委員会による「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 社会学分野」作りに関わった時だ。

社会学教育を考えようとする場合、どうしても「都市部の大規模大学での社会学教育」、「社会学部や社会学科での社会学教育」(それらは重なる場合が多い)を想定してしまいがちであるように思う。研究者(兼教員)になるのはそういう大学で社会学教育を受けた学生・院生がほとんどであることから当然のことだと思うし、そこでの社会学教育の重要性は十分に認識している。一方で私自身は、受けてきた教育や経歴から、いわゆる教養科目としての社会学(教育)、総合的・学際的学部や学科の中にある社会学(教育)を大切に思う気持ちが強い。それらは専門性はそれほど高くない社会学(教育)という意味で「小さな社会学(教育)」と言えるだろう。「小さい」とはいえ、学生全体を考えれば、そういう課程で社会学を学ぶ学生がほとんどではないだろうか。

「小さな社会学」は学生にとっては最初で最後の社会学の授業となる場合が多い。そこで求められるのは、社会学のエッセンスが詰まった授業である。そして、そのエッセンスは、市民社会が成熟するためには必要不可欠なものではないだろうか。「小さな社会学」の授業は、「市民教育」という役割を担っているともいえよう。

「小さな建築」を主張する隈研吾の言葉が示唆的である――「単に大きさが小さいものが『小さな建築』ではない。自分の手で作れ、自分の手でオペレートできるものが『小さい』のである。自分自身の手を用いて、自分と世界をつなぐ道具が『小さい建築』なのである」(『小さな建築』岩波新書、2013年)。

そうした「小さな社会学」を考えるきっかけとなったのが、2010年に親しい友人ふたりと編者となって『質的調査の方法』(法律文化社)を出したことだった(2016年には第2版を出すことができた)。その少し前まで、私は、地方の小規模大学に勤めていた。社会学を専門にする学部・学科ではなかったが、そこで社会調査を教えていた。他の編者も中小規模大学勤務であり、担当の編集者さんは専門的な社会学教育は受けていなかったものの社会学や社会調査に興味を持っている方だった。本を編むにあたって、私たちはそれぞれの経験や実感を基にして「社会学を専門に学んでいない学生であっても、これを読めばそれなりのことがひとりでできるようになるテキスト」という編集方針を立てた。社会調査士資格や専門社会調査士資格とは直結しない「小さな社会調査(教育)」を目指したのである(もちろん、資格の重要性は十分認識している)。

社会学を専門に学んでいない学生においても、自分自身で調査をする経験を通して学べることは多いのではないだろうか。たとえ最初で最後の社会調査(ぽいこと)であろうと、その経験が、自分と社会をつなぐ道具を発見するきっかけとなる可能性は十分にあると考える。

『質的調査の方法』は、思いのほか多くの方に受け入れてもらえた。編集者さんからは「社会学部がない大学の先生から注文をいただきました」「社会学が専門ではない先生からゼミ用として注文をいただきました」というような報告を何度も受けた。さらに「〇〇大学社会学部(←大きな社会学教育(!)の大学)の先生から毎年ゼミ用に注文をいただいています」というような驚くやらありがたいやらの報告も。

「小さな社会学(教育)」と同様に、「小さな社会調査(教育)」の役割は、それなり以上にあるのかもしれない。